弁当箱の蓋を開いて、冷えきった白米を見つめて思います。
なぜ、今日、のり弁にしなかったのだろうという後悔の念です。
黄色が生える卵焼きにも、緑の瑞々しいほうれん草の煮浸しにも、確かに白飯は合います。
合わないわけがないのです。
でも、それでも、私の目は舌は胃袋は、なぜだか今日のランチにのり弁を欲しているのです。
私の目は言っています。
「あの真っ黒なビジュアルが見たい」、
「弁当を詰めたときはパリパリなのに、昼を迎えたら玉手箱を開けてしまった浦島太郎のようにしなしなになったのりが見たい」
私の舌は言っています。
「醤油の香ばしい味を楽しみたい」、
「しなしなののりとべちゃべちゃとしたかつお節の舌触りを楽しみたい」
私の胃袋は言っています。
「とにかく、今は純粋な気持ちではいられない」
そう、彼らは言うのです。
今日は、真っ白な白米が似合うほど、ピュアではいられないのです。
映えてたり瑞々しかったりの若々しさは遠い過去なのです。
仕事で後輩を抱えてから幾日経ったでしょう。
そんなに経ってないかもしれないし、実は随分、経ったのかもしれません。
「あぁ、自分が若ければ」
と、スマホの時計を見て焦りました。
早く食べなければ、昼時間が無くなります。
慌ててかきこみ、むせかえり、背中を誰かにポンポンと叩かれました。
「大丈夫ですか?」
爽やかな声と心配する透き通った眼差しが、「あぁ、白米だな」と思わずにはいれない昼時間なのです。