昔、わらしべ長者というものがたりがあった。京の都の近くであったが、昔、ある貧しい若者が、わらのさきに、はえをつけたものを、より価値の高いものに順順に交換していき、最後は、長者になるという話だ。交換のたびにより高い価値のものと交換していくと、ゆたかになるというのは、現代社会にもあてはまる。これと同じ理屈で、もとでが、100円でも、それを原資に、よりおおきな価値のお金を手にいれることもできる。たとえばだが、先日とてもお金にこまったときに、いらない本をみつくろって、古本屋に売りに行った。ほんのわずかだが、お金がえられる。

このお金で封筒と便箋をかう。もしくは、ハガキをかう。そして、出版社に手紙をかく。わたしの原稿をみていただけないでしょうかなどなど。結果はでないかもしれない。しかし、動かなければ、最初から試合放棄しているのと同じことで、何の結果もでない。実際には、わたしのやっていることは効果のでないことも多い。それでもたとえば、疎遠だったひとに、えんえん手紙を書きつづけて理解をえ、経済的援助をしてもらうことに成功するということもある。

手紙を毎日4ヶ月だしつづけたとして、それに心をうごかされないひとがいるだろうか。窮状を切々と訴えれば、贅沢に悠々とくらしているという誤解はとかれ、もっと楽に生活できるためには、何が必要かなどのアドバイスをくれたりもするようになる。交換に交換をかさねてではないが、困ったとき、このように、わたしは、消費者金融からお金をかりることを考えるのではなく、手元のお金を増やすことを考える。